岬ちゃんが来ない人のブログ

アラサーニートです。中原岬ちゃんが来ません。助けてください。

2021年初記事。精神科に通院して約半年経過した。これまでの経緯まとめ

1月に精神科に初受診し、その後の経過をブログで書いていこうと思っていたものの、まさかの料金滞納でwifiの契約を打ち切られ(当たり前)、そのままになっていたので更新ができなかった。

フォロワーさんからの勧めでスマホ楽天モバイルの回線をこれまでのドコモ回線を用いたものから楽天独自の回線へチェンジした。それにより通信制限が撤廃され、速度も向上したのでテザリングがそれなりに実用できるようになった。そもそも今日始めてテザリングというものをやったのだが、まぁそこそこは動くことがわかった。ツイッターのトップ画面の青い鳥の色が化けて怪物みたいになったりはしたが笑。

 

さて、こんなブログを楽しみにしていた人は冗談抜きでゼロだろうからわざわざ書かなくてもいいのだろうし、私の近況ならツイッターでいつも呟いているからここにまとめる必要もやはりないのだろう。しかし、せっかく始めたブログをここで終わらせるのも忍びないし、もしかしたらなにかの役に立つかもしれないので私の備忘録も兼ねて書く。

 

1月に初診だった。

これまでの経緯と現在の症状を説明した。抑うつ状態が続いていること、自罰的感情があること、身動きが取れないこと、混合状態のようであることなど。症状の自覚は大学2年生ぐらいからあったものの、中学生時に病院でIQ70と診断されたのがコンプレックスとなり受診に二の足を踏んでいたことも話した。

一時間ほど時間を取ってくれて、わりと丁寧に話を聞いてくれたように思う。あらかじめスマホにメモした話すことリストの中には家庭環境の話も含まれていたが、そちらについてはなんだか気恥ずかしさもあって話せなかった。

診断としてはおそらく双極だろうとのこと。ただ2型か気分循環性障害なのか微妙とのことだった。

初診では残念ながら処方はなかった。これは本当に辛かった。受診の前日まですこぶる調子が悪かったので。

 

2月に入り、2回目か3回目の受診でついにバルプロ酸200mgが処方される。診断はやはり双極のようだ。ここでも2型かどうか確定的なことは言われなかった。

バルプロ酸の効果はあった。まず大きかったのは自罰的な感情が減ったことだった。

「俺なんて一生愛されない、愛される資格がない」「生きている意味がない」といったような自分を責める感情がだいぶ減った。処方された当時は教科書的には第一選択とされるリチウムではないことに不満を持ったが、一応は効いた。

 

たしか3月だったと思うが、WAIS-Ⅳと描画テストを受けた。心理士との面談から始まったのだが、初診で医師に伝えたようなこれまでの経緯なども話した。IQ70と診断されたもののなんの支援にも繋がらず放置された点やコンプレックスになったことなどに同情していただいた。

「そうなんですね。じゃあかなり勇気を持って今回来られたんですね」などと言ってもらえた。嬉しかった。危ない危ない。相手がきれいなお姉さんだと惚れてしまう(マスクしているとみんな美人に見える問題)。

 

それで検査の結果だが、全IQ82で言語理解凸でほかはボロボロ、ワーキングメモリに至っては67と軽度知的障害者並であった。わかっていたけど、悲しい。でも70から82の進歩はすごいんじゃないか?などと思ったりした。70じゃなくてよかったとほっと胸をなでおろしたのは正直な気持ちだ。

知能検査の結果についてはまた詳しく別記事でまとめたいと思う。

ちなみに描画テストについては、女の子の絵と木の絵を描いたのだが、「トラウマはあんまりなさそう」「まじめ」「幼いところがある」といった評価だった。なんやねんそれ。

そしてこれらの検査結果の結果(というか総合判断だろうが)、ADHD不注意優勢型であると診断された。

人生で初めて発達障害であると正式に(?)認められた。なんかちょっと嬉しい気もした。

「で、ADHDってことでー」と医者がさらりと言うので「え、ADHDなんですか。もう確定なんですか?」と聞くと「そうですよ」と笑。

いや、もっと切り出し方あるだろうと思ったりもしたが、まぁいい。

 

そしてこの日からだったか?次の受診からだったか? とにかくアトモキセチンの処方が始まった。

そしてこれが効いた! なんとうつ状態に!

 

バルプロ酸とアトモキセチンの副作用で強い眠気や吐き気に襲われ、まるでうつが悪化したように感じていたのだが、飲み続けるうちになんと気分の低下や体のどうしようもない怠さなどが減ってきた!

気分安定薬であるバルプロ酸の作用もあると思うが、アトモキセチンはもともと抗うつ剤として作られた経緯のある薬なので、おそらくそちらの作用のようだ。どうも医者もそのあたりのことを考えて処方している様子だった。

受診を重ねるごとにアトモキセチンの量を増やしていき、少しずつ行動力が回復、なんと部屋の片付けや掃除が少しづつではあるができるようになってきた。

6月(今月)なんて飲み物をこぼして汚してしまったマットレスを掃除してベランダに干すことができるようになったのである。

 

ところが、75mgまでアトモキセチンを増やしたところ、少し胸のあたりの違和感(動悸までいかない)や受診前に近いような混合状態になりかけそうになった。

気分自体は基本的には優れているので悪い気はしないのだが、心臓の件などは身体的に洒落にならないし、万が一躁状態に振り切ったりしても困るので前回の受診の際に医師に伝えた。

現在はバルプロ酸の量を増やすことで様子を見ている。身体症状は治まり、精神的にはむしろうつ状態に傾いている。正直バルプロ酸増量前のほうがやる気に満ちていた。

またこうした経緯を今月の受診で医師に伝えていこうと思う。

病気のほうはそんな感じだ。

 

家庭環境のほうもだいぶ変化した。

前回の記事を書いたときにはまだ母との別居は実現していなかったのかな?

いずれにしても今年に入ってからだと思うが、2年以上同居状態にあった母を家から追い出した。

追い出したというと聞こえが悪いが、普通に丁寧に「お互いストレスを溜めるから別居にしましょうよ」と伝えただけである。本人はずいぶん心外というような反応をしていたが、最初は事情があったとはいえワンルームの息子の家に2年も居候する生活を続けられる神経がわからん。このあたりは本当に母の病理だと思う。書いていて嫌になる。

現在は基本的に別居している。ただ、諸事情あって我が家に来ることも多い。この点に関しても強いストレスを感じているが、解決策はあってそれはまもなく実行できるので救いがある。

 

さて、ざっくりとまとめたがこんな感じだ。

また半年や一年後の自分がこの記事を読んだらどんな感想を抱くのだろうか。半年でここまで大きく変わったんだ。これからの半年もきっと良い方向に変わっていくさ。