岬ちゃんが来ない人のブログ

アラサーニートです。中原岬ちゃんが来ません。助けてください。

2019年後半から2020年の総括。今年は良い年だった。

2020年の総括をしてみたい。

結論を言えば、今年はまた少し人間的に成長できた1年だった。

それは主にリアルでの人間関係の変化とTwitterでの出会いによってだった。時系列順で今年を振り返っていこう。実は去年の総括を私はしていなかったので、まずは去年の大きな変化があった部分から始めたい。

 

私は去年(2019年)の7月に無職になった。それ以前に勤めていた介護施設でのストレスに耐えかねて辞め、新たに夜勤専従として数ヶ月勤務した介護施設だったが、結局精神的な不調に悩まされて辞めることになった。

辞めてからも精神的な不調(うつ状態など)は大きく改善されることはなかったが、仕事という大きなストレスから解放されたこともあり、また、せっかく時間もあるのだから何かやろうという気分にもなり、自動車免許を取得することにした。介護の送迎などで働くこともできるという魂胆もあった。そして8月には合宿でMT免許を取得した。

その後だったと思うが失業保険の申請をした。無一文では生きていくのに大変なので少しでも金が手に入ればとの思いだった。通常は支給されるまでは待機期間が3ヶ月あるのだが、直近で派遣社員として働いていたため支給開始日が近く、たしか1週間とちょっとで支給開始された。とはいえそれは日毎の支給の計算がされ始めたというだけで実際に口座に振り込まれるのは月に1回だから、実際にはしばらく金に困った記憶がある。

そして10万ちょっとの失業保険を貰いながら生活をしていたが、失業保険の受給中は必ず求職活動をしなければならないので、定期的にハロワークへ通った。

失業保険自体は一応満額貰うつもりでいたが、どんな仕事があるか探しておきたいという気持ちもあったし、職業訓練を受けたいという気持ちもあり、わりとよくハロワークの職員さんに質問などをしていたのだった。

そんなとき、ある職業訓練を知った。それはとある職業への就職を促すために資格の取得をさせてくれるプログラムだった。

何もやらずにいるのも嫌だったし、その職業への興味あったのでさっそく応募することにした。

一応選考があったがクリアし、2020年の1月からの参加となった。

12月には大学時代の友人と再開する縁があり、最初は無職ということと不調のせいで及び腰だったものの、変わらずに接してくれる友人たちのお陰で楽しい時間を過ごすことができた。

 

そして、今年の1月には約1ヶ月の講習を終えてなんとかとある職業に直結する国家資格を手に入れることができた。

途中で挫折しそうになったが、丁寧に指導してくださった先生方やサポーターの方々のお陰である。

このことに関してはまたの機会に記事を作りたい。

私には身分不相応な国家資格を手にして新年を迎えることができたのである。

非常に有り難いことだが、ちょうど受講前に失業保険も満了し、また無一文になってしまった。

ここから今に至るまで何回か工場で働いたことを除けば基本的には働いていない。

また、リアルの友人とも去年12月に会って以来再開していない。一部の友人とLINEでやり取りをしただけだ。

私は今住んでいる土地に友人がいないので、基本的には誰にも話ができない孤独な状況が続いている(いた)。

これはこれで心地いいものではあるが、一方で寂しさを覚えることも多い。

リア友も閲覧しているTwitterアカウントではあまり生々しい話はしづらく、なんとか本音を話せる、自分の心の居場所になり、思考の整理にもなるような場所を別に作らないといけないなと感じた。それで今の「岬ちゃんが来ない人」のTwitterアカウントを作ったのである。正確にはその前に別のアカウント作っていて、そちらでも自由に呟きにくい感じだったので、フォロワーさんを一部引き継ぐ形で今のアカウントになった。前身アカウントの存在を知っているフォロワーさんでこのブログを読んでいらっしゃる方はたぶんあまりいないと思うが(汗)

あちらのアカウントでは下ネタを呟きにくい環境を自ら作ってしまったので、下ネタも大事なストレス発散である私としてはアカウントを変える必要があったのである。

 

さて、こうして作った「岬ちゃんが来ない人」だったが、本当に作って良かった。

このアカウントではかなり自由に発言させて貰っている。

精神疾患のこと、家庭環境のこと、性的なこと、真面目な話などなど。

それらはどれも私の本当の姿であって、これまではそのうちの一部を表現するしかなかったが、このアカウントではどれも表現できている。もちろんそれでもフォロワーさんに配慮した自重はあるが。

この自由に呟ける環境のお陰でかなりストレスが減った。元来私は言語化することがコーピングになっている人間なので、本当に助かった。このブログで自己表現できるようになったのもTwitterから閲覧してくれる人がいることが励みになっているからである。

 

特に以前の記事でも書いた通り、精神科に行く決心がついた。それはTwitterで似たような境遇の方と出会ったことが後押ししたからだ。

misakichankonai.hatenablog.com

特にとある方は私と同じ知能指数精神疾患を患っているのだが、文章を見てもそうと感じさせないような人だった。自分と同じで言語的な能力は正常範囲(というかその方は正常より高め)であり、そうしたいくつかの点で私に似ていた。

どこかで知能にコンプレックスがあり、その現実に直面するのを嫌がっていた私は、こうして同じような境遇の方がしっかり生きている様子を見て、自分も生きていけそうだと思えた。

たとえ精神科で改めて知能検査を受けて、その結果が悲惨なものであったとしても、それを受け入れて生きていこうと思えたのだ。今でも気持ちのグラつきはあるが。

 

アライさん界隈の方をフォローしているのも大きかった。

アライさんはある種の互助会のような場所として機能しており、なにかしら問題を抱えた方が多く、世の中の広さを感じさせた。私の知らない世界を教えてくれた。そんな人たちの中から私と仲良くやり取りをしてくれる方も現れた。

 

また、FFさんの中から通話をする人も出てきた。

これも望外の喜びだった。なにせ近くに友達が居ず家族や店員との最小限の会話しかしない私にとって、これは単純に嬉しかった。音声でのやり取りはしばらくマトモなコミュニケーションをしていない私にとってはとても緊張を強いられるものだったが、上手に会話できたかは別にして、心の安らぎになっていた。

ここで音声でのやり取りにある程度自信を付けたことがツイキャスの配信に繋がったのだと思う(元々興味はあったが)。

 

正直、ネットでのやり取りに、自分の殻に閉じこもっている私には苦痛を感じる部分もあった。これは決して悪口ではなく、自分と異なる価値観や主張と出会う機会が増え、それを自分の中でどう処理していいのか分からないことがあったからだ。どうにかして自分の価値観との折り合いを付けざるを得ないけど、他人を否定したい気持ち(自分が正しいと思いたい)と、一方で相手の立場も分かるし分かりたい、というような。自分のエゴについても認めざるを得なくなったりした。何を言っているか分からないだろうが、個人的にそんな葛藤を感じることもあったのだ。苦しいこともあった。

 

しかし、数日前からふと新しい考えが頭に浮かび始めた。それが冒頭の結論である。こうした葛藤や人とのやり取りを通じて、私は自分を内省することができ、去年よりも精神的に成長できたように感じるのだ。

思えば去年の12月に友人たちと再会して以降、1月での一時的な人間関係以外で人との関わりが無かった。それは私にとってある意味癒やしでもあった。対人関係ですり減りがちな私には良い休息だった。孤独によって癒やされた部分が大きい。

だが癒やしは同時に寂しさを感じさせる、孤独はいいが、ほどほどにしないと逆に有害になっていく。そんなタイミングで今のアカウントを通じて色んな人と触れ合い、その中で「自分はなぜそう感じたのか?」などと思考することで新たに自分が見えてきた。過去について気付かされることも多かった。より一層人間というものを理解できたように思うし、自分の中のエゴを捨てて、少しばかり器が大きくなったような気がする。気、だけかもしれないが……笑

器の大きい人間でありたいものだ。

 

全ては出会った人のお陰だ。ありがとう。

 

今年も残りわずかだが、終わり良ければ全て良し。人様のお陰で良い一年にできそうだ。

来年こそは、精神科受診に始まり、できれば完全な一人暮らしまで持っていきたい。

 

お世話になりました。皆さん、良いお年を!