人のために死ねるか
人のために死ねるかどうか、それが私の今の一番の関心事である。
そういえば数年前、海上自衛隊に日本初の特殊部隊を創った伊藤祐靖氏が『国のために死ねるか』という本を出版した。これは良書なのでぜひ読んでいただきたい。タイトルで嫌がる人もいると思うが、決してただの右翼的な本ではない。
さて、この本の趣旨は国家の理念を問うものだったが、それ以外に非常に面白い指摘がなされている。それは特殊部隊の隊員の資質についてだ。
彼らは任務の性質上、死に近いところに居る。だからその死を受け入れて、その上で作戦について冷静に考えて実行できるような精神性を持っていなければならない。
これは私達が通常「死ぬ気でやれ」などと言われるものとはまったく次元の異なる話で、彼らは本当に死んでしまう。
もちろんそれは通常の自衛官や警察でも同じことだが、特殊部隊の場合は極端な話、全滅覚悟で臨むということもありえるわけだ。全滅することは通常の軍隊ではあってはならないことだが、特殊部隊は国家からの直接のオーダーがあり、どうしても国としてやらねばならぬ、特殊部隊にしかできないという内容の任務になる。だからその任務の完遂が第一であり、それが達成されるならば別に全滅したっていいのだ。逆言えば何がなんでも生き残らないと達成できないならそうしなければならない。たとえ死ぬほど辛くても。
そしてこのような精神状態にはなかなかなれるものではない。それは伊藤氏が体験した特殊部隊創設のきっかけになる能登半島沖不審船事件の際に明らかになる。
日本人を拉致した可能性の高い北朝鮮の工作船を停船させ、そこに乗り込むことが政府からイージス艦「みょうこう」の立入検査隊に下令された。
しかし当時の立入検査隊員はろくな装備も訓練もなく、また相手は証拠隠滅のため確実に自爆する。
つまり、絶対に死ぬ命令が下ってきたのだ。
そのとき命令を受けたまだ若い(20~30か?)の隊員たちはほんの十数分の間に「死を受け入れた」そうだ。
その様子を伊藤氏は「美しかった」と表現する。
しかし、同時に「向いていない」とも思ったそうだ。
それは彼らが自らの死を受け入れるのに精一杯で、実際にどう作戦を実行するかまで考える余裕が無かったからだ。
「自分が死ぬのはまぁしょうがないとして、実際のところどうします?」
というような、そんな思考ができる人間が必要なんだと感じたそうだ。それが特殊部隊の人材集めの際に大事な基準となった。
と、ここまで本の紹介のようになってしまったが、案の定ここから自分語りが始まる。
私はとてもじゃないが特殊部隊の方々のようにはなれない。
なにせ死ぬのが怖いし、第一「国」という抽象的な概念のために死ぬというのがピンとこない。
正直言ってまだ「天皇のために死ね」のほうが分かる。具体的な存在だからだ。
「国」というのは、決して国民でもない、国土でもない。政府でもないだろう。それらの総体と言うべきか、主権と言うべきか。とにかく何か具体的な事物を指すのではなく、もっと観念的なものだ。
もちろんだからと言ってそれを蔑ろにして良いというわけではない。事実、私達は日本という国家の下で暮らしているわけだから、それを守ろうとするのは当然と言える。
しかし私としてはやはりもっと具体的なものが頭に浮かばないとピンとこないのだ。
だから私は特殊部隊員には向いていない(当たり前だが)。
一方で、では具体的なもののためなら死ねるか?と自分に問うてみる。
うーん、やはり死ぬのは怖い。死後の世界があるのかどうかも分からない。自分が無になる恐怖を感じてしまう。
でも、それでも、願いだけで言うなら、そうありたいと思う。
例えば目の前で誰かの子供がナイフを持った狂人に今まさに殺されようとしているときに、死んでもいいからその子を守れるような、そんな人間でありたいと思う。
別にヒロイズムに酔いたいわけではない。いや、もしかしたらそうかもしれない。情けないが。
私は未だに自分の人生を完全に肯定できない。私は子供の頃、本当に素直に、家庭を持つことに憧れた。
誰かを愛し、愛されて、その人との子供を育てる。
そんな関係性に素朴に憧れていた。今だってそうだ。
しかし、私にはそれはできそうもない。
私の隣に誰かがいる未来を思い描いても、その難しさの前で打ちひしがれる。
別に結婚することが幸せではない。子育てだって大変だ。
それは分かっているが、私は純粋にそんなことに憧れているのだ。
私にとってそれはオリンピック出るくらい難しいことだけど……(誰が低IQの男と結婚したいなどと血迷ったことを考えるのか)。
愛されることもなく、何かを残すこともできずに死んでいく。
それならせめて、お願いだから何かのために死なせてほしい。
別に積極的に死にたいわけではない。自殺志願者ではない。
ただ、この命に意味があったと思いたい。
誰かのために捧げられるなら私は大歓迎だ。
こんなろくでもない人間だが、誰かのお役に立てるなら本望なのだ。
特殊部隊のようなことはできないけど、身近な誰かを助けることならできるかもしれない。
だから私は自分に問う。
「人のために死ねるか」