岬ちゃんが来ない人のブログ

アラサーニートです。中原岬ちゃんが来ません。助けてください。

幼少期の話と感情鈍麻・離人症

とにかく何かを言いたくて書きたくて仕方がない。乱文失礼する。

物心が付いたときからゴミ屋敷で暮らしていたのは以前の記事で話した。

母は精神に問題を抱えていてまったく片付けができない人だった(なってしまった?)。

トイレに行くにも通路にゴミが溜まっているので行けず、ペットボトルにおしっこをするのが当たり前なのが俺の幼少期だ。

そんな状態だったから片付けるとか掃除をするとか、そういう習慣がないままに育ってしまった。

(今俺がゴミ部屋で暮らしているのはもちろん俺自身の責任だが、それでも母の影響は大きい。)

誰にもゴミ屋敷のことを言えず(というか幼少期なので問にすら思わなかったぞ)、事態に気づいた祖父母は母が明らかに精神的によろしくない状態なのにも関わらず、そんな母が一人で俺を育てているのにも関わらず、母を病院に連れて行くとかカウンセリングを受けさせるとか、せめて心の支えになるとか、そういうことは何もしなかった。

あげくの果てに小4くらいで父と母の離婚話が出てきたときだったか、俺はなぜか祖母の命により「司会役」をやらされた

ストレスからか記憶が定かでないが、要は父と母双方の言い分を吸い上げて仲違いしないように仲介するという小学生にやらせてはいけないだろうというストレス度MAXの役目である

祖母・祖父としては離婚は避けたい(世間体があるので)ためにそういうことをやらせたのだろう。

もちろん最終的には俺は母の味方になったのだが、できる限り家庭が円満であって欲しいと思っていろいろと双方の話を聞いたりまとめたりしていた記憶がある。

上げればきりがないが、とにかくそういう子供が普通やらないだろうことをやったせいでどんどん感情が麻痺していった。笑顔だけはわりと上手だったが。

今にして思えばこして少しずつ感情鈍麻になっていたんだろうな。

小5くらいで突然それまでやっていたゲームにまったく興味がなくなり(今でもない)、だからといって勉強をするでもなくひたすら無気力になってしまった。

学校でのクラス関係のストレスもあったんだろう。

あとそういえば何がきっかけか忘れたが父とのトラブルで母がストレスMAXになり、夜中「ドスッドスッ」という音で目が覚めると母が台所で包丁をまな板に突き刺して「どうしてくれっか!どうしてくれっか!」と言っていたり、

またまた何がきっかけか忘れたが俺が何か気に障ることでもしたのか母から首元に包丁を突きつけられ「どうしてくれっか!どうしてくれっか!」と泣き叫ばれた。ストレスが溜まったときの口癖なのか?笑

まぁそんなことがあったからだろう、

結局中学に上がる頃には完全に離人症になっていた。

診断されたわけではないのでなんとも言えないが、常に無感情でなぜか喜怒哀楽の嬉と楽がなくなったような感じになり、常に世界を映画のスクリーンを見ているような現実感の無さを味わっていた。

ひどい有様だった。でも仕方ない。

とにかく自分の精神状態が異常であること、このままで母も自分も駄目になっていくことは理解できた。

そしてネットを使いこなしていた俺はこの状態が離人症であることを知っていたので、ほかにも学習障害の疑いとか、

「もうなんでもいいからとにかく助けてくれ涙」

とか思いながら、自分から精神科に行きたいと言い出したのであった。

(まぁそこでIQ70と言われて、それはそれで傷ついたのだが。)

今でも軽い離人感は続いている。

だから果たして自分がどんな感情を抱いているのかちょっとよくわからない。

でもぼんやりと感じるのは、「寂しい」「悲しい」「辛い」とかそんなもんだ。

寂しい。

ずっと誰にもこうしたことを話さずに生きてきた。

一歩間違えば母の名誉を傷つけることにもなりかねない話だし、第一日本人は人の話を聞くのが苦手な人が多い。すぐにいらない説教やアドバイス、茶化しを入れてくる人が多いのだ。

だから話さずにいた。

友達がいなかったわけではない。特に大学に入ってからは積極的に話しかけたりもしたので、それなりに仲の良い子はいた。自分にしては本当に良く頑張った。

それでもこういう話は、なかなかさらけ出せない。人の話はわりとよく聞いたつもりでいるが。

だからずっと心に寂しさがある。

俺のことを見てくれた人はいない。俺の話は誰も聞いてくれない。俺は人の言うことをちゃんと最後まで聞くのに。

自分勝手かもしれないが、そんな気持ちを抱いてしまう。

こんな匿名ブログやTwitterで話すくらいしか発散手段がないんだ。

寂しい。

俺はいつか死ぬ。確実に死ぬ。

だからせめて俺の人生のほんの断片でもいいから誰かの記憶に俺がこうして生きたことを覚えていてもらいたい。

でなければあまりにも寂しすぎる。

私にとって寂しさはずっと一緒だったから、これからもきっと大丈夫だ。

でもいつか限界が来てお終いになるかもしれないから、せめてブログやTwitterくらいは書いていきたい。

長文を読んでくれてありがとう!