岬ちゃんが来ない人のブログ

アラサーニートです。中原岬ちゃんが来ません。助けてください。

明日、生活保護の申請に行ってくる。

久々に長文を書き連ねたくなったので書いてみようと思う。またとりとめのない文章になると思うのでそのつもりで読んでもらいたい。

 

明日、生活保護の申請に行ってくる。それについて書こうとして、いましがた何度か短文を書いたが、消した。なんだか書くのも疲れるし、いい。

とにかく明日生活保護の申請に行く。それだけだ。

頭の中にいろんな不安や考えや過去のことが浮かんできて、混乱する。判断ができない。思考が整理できない。

もともと思考の整理は苦手だが、なにか決断を求められるような事象については特にそうなる。生保も申請するとは言っているが、正直決断しきれていない。もちろん、こんな調子では先へ進めないのでとにかく行動あるのみとして役所には行くのだが。

思考の整理が苦手なのはWMが低いこともあるだろう。ほかに原因があるかもしれないが、とにかく俺の脳みその問題が根本だろう。

それはそれとして、こんなときに俺の話をただただ聞いてくれる人がいてくれたらと思う。しかしいないし、求めるつもりもない。そんな無料カウンセラーのようなことは人に対して求めたくないし、俺にはその対価を支払うこともできない。

どうも一般的には何か一人で手一杯になることがあったら人に話すらしい。話すことで思考を整理するという習慣があるらしい。俺にそんな習慣はないし、今までも一人で整理し(しきれてないが笑)、決断してきた。だから別に必要はない。

別に大した話ではない。単に生保を受けるにあたっていくつか不安になることがあり、そんな話をして自分の決断の後押しや考え直しをしたいのだが、心理士にもかかっていないし、できる相手もいない。プロに頼るような内容でもないし(日常的な話なので専門家の出る幕ではない)、だからといって茶飲み友達に話すような話でもない。

とにかく俺は明日生保の申請に行く。行くんだ。行くぞ。

 

最近猛暑が続いている。そのせいで母がまた頻繁に来訪する。エアコンがあるからだ。それもあって精神的に不安定になり、疲れ切ってしまった。疲れているのかよくわからない、自覚が生じにくいような状態だ。きっと疲れているのだろうが。

左手首に意識が行くことが増えた。リストカットをしたいようなしたくないような。もちろん、したくないのだが、どうしても手首に意識が向かう。痛いのは嫌だし、アディクションを増やしたくないので切りたくない。だからいろいろと自分で対処している。今のところは切っていない。

 

生保を受けてなにか変わるんだろうか?母から逃れられるのだろうか?

俺はいったいどこへ向かうんだろう。どこへ向かいたいんだろう。

俺を愛してくれる人はいない。俺も誰かを愛せない。生きていても虚しい。

それでも俺は死が永遠の無であることを知っているし、それに対する恐怖心もある。だからまだこうして一応は生きていられる。そこそこ楽しいこともあるし、ね。

ああ、やはり何も感じない。自分が何を感じているのかもわからない。不気味だ

死にたいともあまり感じない。よくわからないとしか言えない。

俺はいったい?

 

やはり理想の死に方は誰かのために死ぬに限る。こんな自分でも生きていた意味を実感できるから。

はやくそんな状況が来ないだろうか。そういう場面が来た時に素早く行動できる自分でありたいと思う。罪滅ぼしも兼ねて、そう思う。

 

いろいろと限界に近い。限界に近いということすらいまいち実感がわかない。全然限界じゃないような気もする。

とにかく何も感じない。感じているのだろうが、感じられない。

何かもっと自分の思考の整理を兼ねて書き連ねようと思ったのに。こんなはずじゃなかったのだが。

2021年初記事。精神科に通院して約半年経過した。これまでの経緯まとめ

1月に精神科に初受診し、その後の経過をブログで書いていこうと思っていたものの、まさかの料金滞納でwifiの契約を打ち切られ(当たり前)、そのままになっていたので更新ができなかった。

フォロワーさんからの勧めでスマホ楽天モバイルの回線をこれまでのドコモ回線を用いたものから楽天独自の回線へチェンジした。それにより通信制限が撤廃され、速度も向上したのでテザリングがそれなりに実用できるようになった。そもそも今日始めてテザリングというものをやったのだが、まぁそこそこは動くことがわかった。ツイッターのトップ画面の青い鳥の色が化けて怪物みたいになったりはしたが笑。

 

さて、こんなブログを楽しみにしていた人は冗談抜きでゼロだろうからわざわざ書かなくてもいいのだろうし、私の近況ならツイッターでいつも呟いているからここにまとめる必要もやはりないのだろう。しかし、せっかく始めたブログをここで終わらせるのも忍びないし、もしかしたらなにかの役に立つかもしれないので私の備忘録も兼ねて書く。

 

1月に初診だった。

これまでの経緯と現在の症状を説明した。抑うつ状態が続いていること、自罰的感情があること、身動きが取れないこと、混合状態のようであることなど。症状の自覚は大学2年生ぐらいからあったものの、中学生時に病院でIQ70と診断されたのがコンプレックスとなり受診に二の足を踏んでいたことも話した。

一時間ほど時間を取ってくれて、わりと丁寧に話を聞いてくれたように思う。あらかじめスマホにメモした話すことリストの中には家庭環境の話も含まれていたが、そちらについてはなんだか気恥ずかしさもあって話せなかった。

診断としてはおそらく双極だろうとのこと。ただ2型か気分循環性障害なのか微妙とのことだった。

初診では残念ながら処方はなかった。これは本当に辛かった。受診の前日まですこぶる調子が悪かったので。

 

2月に入り、2回目か3回目の受診でついにバルプロ酸200mgが処方される。診断はやはり双極のようだ。ここでも2型かどうか確定的なことは言われなかった。

バルプロ酸の効果はあった。まず大きかったのは自罰的な感情が減ったことだった。

「俺なんて一生愛されない、愛される資格がない」「生きている意味がない」といったような自分を責める感情がだいぶ減った。処方された当時は教科書的には第一選択とされるリチウムではないことに不満を持ったが、一応は効いた。

 

たしか3月だったと思うが、WAIS-Ⅳと描画テストを受けた。心理士との面談から始まったのだが、初診で医師に伝えたようなこれまでの経緯なども話した。IQ70と診断されたもののなんの支援にも繋がらず放置された点やコンプレックスになったことなどに同情していただいた。

「そうなんですね。じゃあかなり勇気を持って今回来られたんですね」などと言ってもらえた。嬉しかった。危ない危ない。相手がきれいなお姉さんだと惚れてしまう(マスクしているとみんな美人に見える問題)。

 

それで検査の結果だが、全IQ82で言語理解凸でほかはボロボロ、ワーキングメモリに至っては67と軽度知的障害者並であった。わかっていたけど、悲しい。でも70から82の進歩はすごいんじゃないか?などと思ったりした。70じゃなくてよかったとほっと胸をなでおろしたのは正直な気持ちだ。

知能検査の結果についてはまた詳しく別記事でまとめたいと思う。

ちなみに描画テストについては、女の子の絵と木の絵を描いたのだが、「トラウマはあんまりなさそう」「まじめ」「幼いところがある」といった評価だった。なんやねんそれ。

そしてこれらの検査結果の結果(というか総合判断だろうが)、ADHD不注意優勢型であると診断された。

人生で初めて発達障害であると正式に(?)認められた。なんかちょっと嬉しい気もした。

「で、ADHDってことでー」と医者がさらりと言うので「え、ADHDなんですか。もう確定なんですか?」と聞くと「そうですよ」と笑。

いや、もっと切り出し方あるだろうと思ったりもしたが、まぁいい。

 

そしてこの日からだったか?次の受診からだったか? とにかくアトモキセチンの処方が始まった。

そしてこれが効いた! なんとうつ状態に!

 

バルプロ酸とアトモキセチンの副作用で強い眠気や吐き気に襲われ、まるでうつが悪化したように感じていたのだが、飲み続けるうちになんと気分の低下や体のどうしようもない怠さなどが減ってきた!

気分安定薬であるバルプロ酸の作用もあると思うが、アトモキセチンはもともと抗うつ剤として作られた経緯のある薬なので、おそらくそちらの作用のようだ。どうも医者もそのあたりのことを考えて処方している様子だった。

受診を重ねるごとにアトモキセチンの量を増やしていき、少しずつ行動力が回復、なんと部屋の片付けや掃除が少しづつではあるができるようになってきた。

6月(今月)なんて飲み物をこぼして汚してしまったマットレスを掃除してベランダに干すことができるようになったのである。

 

ところが、75mgまでアトモキセチンを増やしたところ、少し胸のあたりの違和感(動悸までいかない)や受診前に近いような混合状態になりかけそうになった。

気分自体は基本的には優れているので悪い気はしないのだが、心臓の件などは身体的に洒落にならないし、万が一躁状態に振り切ったりしても困るので前回の受診の際に医師に伝えた。

現在はバルプロ酸の量を増やすことで様子を見ている。身体症状は治まり、精神的にはむしろうつ状態に傾いている。正直バルプロ酸増量前のほうがやる気に満ちていた。

またこうした経緯を今月の受診で医師に伝えていこうと思う。

病気のほうはそんな感じだ。

 

家庭環境のほうもだいぶ変化した。

前回の記事を書いたときにはまだ母との別居は実現していなかったのかな?

いずれにしても今年に入ってからだと思うが、2年以上同居状態にあった母を家から追い出した。

追い出したというと聞こえが悪いが、普通に丁寧に「お互いストレスを溜めるから別居にしましょうよ」と伝えただけである。本人はずいぶん心外というような反応をしていたが、最初は事情があったとはいえワンルームの息子の家に2年も居候する生活を続けられる神経がわからん。このあたりは本当に母の病理だと思う。書いていて嫌になる。

現在は基本的に別居している。ただ、諸事情あって我が家に来ることも多い。この点に関しても強いストレスを感じているが、解決策はあってそれはまもなく実行できるので救いがある。

 

さて、ざっくりとまとめたがこんな感じだ。

また半年や一年後の自分がこの記事を読んだらどんな感想を抱くのだろうか。半年でここまで大きく変わったんだ。これからの半年もきっと良い方向に変わっていくさ。

2019年後半から2020年の総括。今年は良い年だった。

2020年の総括をしてみたい。

結論を言えば、今年はまた少し人間的に成長できた1年だった。

それは主にリアルでの人間関係の変化とTwitterでの出会いによってだった。時系列順で今年を振り返っていこう。実は去年の総括を私はしていなかったので、まずは去年の大きな変化があった部分から始めたい。

 

私は去年(2019年)の7月に無職になった。それ以前に勤めていた介護施設でのストレスに耐えかねて辞め、新たに夜勤専従として数ヶ月勤務した介護施設だったが、結局精神的な不調に悩まされて辞めることになった。

辞めてからも精神的な不調(うつ状態など)は大きく改善されることはなかったが、仕事という大きなストレスから解放されたこともあり、また、せっかく時間もあるのだから何かやろうという気分にもなり、自動車免許を取得することにした。介護の送迎などで働くこともできるという魂胆もあった。そして8月には合宿でMT免許を取得した。

その後だったと思うが失業保険の申請をした。無一文では生きていくのに大変なので少しでも金が手に入ればとの思いだった。通常は支給されるまでは待機期間が3ヶ月あるのだが、直近で派遣社員として働いていたため支給開始日が近く、たしか1週間とちょっとで支給開始された。とはいえそれは日毎の支給の計算がされ始めたというだけで実際に口座に振り込まれるのは月に1回だから、実際にはしばらく金に困った記憶がある。

そして10万ちょっとの失業保険を貰いながら生活をしていたが、失業保険の受給中は必ず求職活動をしなければならないので、定期的にハロワークへ通った。

失業保険自体は一応満額貰うつもりでいたが、どんな仕事があるか探しておきたいという気持ちもあったし、職業訓練を受けたいという気持ちもあり、わりとよくハロワークの職員さんに質問などをしていたのだった。

そんなとき、ある職業訓練を知った。それはとある職業への就職を促すために資格の取得をさせてくれるプログラムだった。

何もやらずにいるのも嫌だったし、その職業への興味あったのでさっそく応募することにした。

一応選考があったがクリアし、2020年の1月からの参加となった。

12月には大学時代の友人と再開する縁があり、最初は無職ということと不調のせいで及び腰だったものの、変わらずに接してくれる友人たちのお陰で楽しい時間を過ごすことができた。

 

そして、今年の1月には約1ヶ月の講習を終えてなんとかとある職業に直結する国家資格を手に入れることができた。

途中で挫折しそうになったが、丁寧に指導してくださった先生方やサポーターの方々のお陰である。

このことに関してはまたの機会に記事を作りたい。

私には身分不相応な国家資格を手にして新年を迎えることができたのである。

非常に有り難いことだが、ちょうど受講前に失業保険も満了し、また無一文になってしまった。

ここから今に至るまで何回か工場で働いたことを除けば基本的には働いていない。

また、リアルの友人とも去年12月に会って以来再開していない。一部の友人とLINEでやり取りをしただけだ。

私は今住んでいる土地に友人がいないので、基本的には誰にも話ができない孤独な状況が続いている(いた)。

これはこれで心地いいものではあるが、一方で寂しさを覚えることも多い。

リア友も閲覧しているTwitterアカウントではあまり生々しい話はしづらく、なんとか本音を話せる、自分の心の居場所になり、思考の整理にもなるような場所を別に作らないといけないなと感じた。それで今の「岬ちゃんが来ない人」のTwitterアカウントを作ったのである。正確にはその前に別のアカウント作っていて、そちらでも自由に呟きにくい感じだったので、フォロワーさんを一部引き継ぐ形で今のアカウントになった。前身アカウントの存在を知っているフォロワーさんでこのブログを読んでいらっしゃる方はたぶんあまりいないと思うが(汗)

あちらのアカウントでは下ネタを呟きにくい環境を自ら作ってしまったので、下ネタも大事なストレス発散である私としてはアカウントを変える必要があったのである。

 

さて、こうして作った「岬ちゃんが来ない人」だったが、本当に作って良かった。

このアカウントではかなり自由に発言させて貰っている。

精神疾患のこと、家庭環境のこと、性的なこと、真面目な話などなど。

それらはどれも私の本当の姿であって、これまではそのうちの一部を表現するしかなかったが、このアカウントではどれも表現できている。もちろんそれでもフォロワーさんに配慮した自重はあるが。

この自由に呟ける環境のお陰でかなりストレスが減った。元来私は言語化することがコーピングになっている人間なので、本当に助かった。このブログで自己表現できるようになったのもTwitterから閲覧してくれる人がいることが励みになっているからである。

 

特に以前の記事でも書いた通り、精神科に行く決心がついた。それはTwitterで似たような境遇の方と出会ったことが後押ししたからだ。

misakichankonai.hatenablog.com

特にとある方は私と同じ知能指数精神疾患を患っているのだが、文章を見てもそうと感じさせないような人だった。自分と同じで言語的な能力は正常範囲(というかその方は正常より高め)であり、そうしたいくつかの点で私に似ていた。

どこかで知能にコンプレックスがあり、その現実に直面するのを嫌がっていた私は、こうして同じような境遇の方がしっかり生きている様子を見て、自分も生きていけそうだと思えた。

たとえ精神科で改めて知能検査を受けて、その結果が悲惨なものであったとしても、それを受け入れて生きていこうと思えたのだ。今でも気持ちのグラつきはあるが。

 

アライさん界隈の方をフォローしているのも大きかった。

アライさんはある種の互助会のような場所として機能しており、なにかしら問題を抱えた方が多く、世の中の広さを感じさせた。私の知らない世界を教えてくれた。そんな人たちの中から私と仲良くやり取りをしてくれる方も現れた。

 

また、FFさんの中から通話をする人も出てきた。

これも望外の喜びだった。なにせ近くに友達が居ず家族や店員との最小限の会話しかしない私にとって、これは単純に嬉しかった。音声でのやり取りはしばらくマトモなコミュニケーションをしていない私にとってはとても緊張を強いられるものだったが、上手に会話できたかは別にして、心の安らぎになっていた。

ここで音声でのやり取りにある程度自信を付けたことがツイキャスの配信に繋がったのだと思う(元々興味はあったが)。

 

正直、ネットでのやり取りに、自分の殻に閉じこもっている私には苦痛を感じる部分もあった。これは決して悪口ではなく、自分と異なる価値観や主張と出会う機会が増え、それを自分の中でどう処理していいのか分からないことがあったからだ。どうにかして自分の価値観との折り合いを付けざるを得ないけど、他人を否定したい気持ち(自分が正しいと思いたい)と、一方で相手の立場も分かるし分かりたい、というような。自分のエゴについても認めざるを得なくなったりした。何を言っているか分からないだろうが、個人的にそんな葛藤を感じることもあったのだ。苦しいこともあった。

 

しかし、数日前からふと新しい考えが頭に浮かび始めた。それが冒頭の結論である。こうした葛藤や人とのやり取りを通じて、私は自分を内省することができ、去年よりも精神的に成長できたように感じるのだ。

思えば去年の12月に友人たちと再会して以降、1月での一時的な人間関係以外で人との関わりが無かった。それは私にとってある意味癒やしでもあった。対人関係ですり減りがちな私には良い休息だった。孤独によって癒やされた部分が大きい。

だが癒やしは同時に寂しさを感じさせる、孤独はいいが、ほどほどにしないと逆に有害になっていく。そんなタイミングで今のアカウントを通じて色んな人と触れ合い、その中で「自分はなぜそう感じたのか?」などと思考することで新たに自分が見えてきた。過去について気付かされることも多かった。より一層人間というものを理解できたように思うし、自分の中のエゴを捨てて、少しばかり器が大きくなったような気がする。気、だけかもしれないが……笑

器の大きい人間でありたいものだ。

 

全ては出会った人のお陰だ。ありがとう。

 

今年も残りわずかだが、終わり良ければ全て良し。人様のお陰で良い一年にできそうだ。

来年こそは、精神科受診に始まり、できれば完全な一人暮らしまで持っていきたい。

 

お世話になりました。皆さん、良いお年を!

 

 

人は祈ることしかできない

「祈ることしかできない」という言葉に反感を覚えていたのはもう昔の話だ。

大学生くらいまでは「いやいや、できることあるだろ。行動しろよ」なんて思っていた。

もちろん自分に何もできなくて、祈ることくらいしかできないということも状況によってはあるだろう。

でも、そんな状態でも祈りなどという効果があるとは思えないような行為を行うのは愚の骨頂だと思っていた。

しかし今はそんな風には思えない。

人には祈ることしかできない。

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私の気持ちを察してよ、私の思い通りに動いてよ←知るかバーカ

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(「我が道」 "My Way" と言ったらフランク・シナトラだろ?)

 

支配という言葉を好意的に受け止める人はいないだろう。

肉体的なものであれ、精神的なものであれ、支配には非支配者の人格を尊重しないで自分の都合の良いように操るイメージがある。

誰だって自分を尊重してもらい自由に振る舞いたいと思うから、嫌なのは当然だ。

その中でも一見自由に行動できるように見えて、実は相手の誘導に乗せられているという精神的支配は、まるで魂が束縛されているような、自分という存在そのものが消えてしまうような感覚がして、気持ち悪さを覚える。

しかし、そんな精神的支配を人は往々にしてしがちだ。

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努力の大前提

努力をする、ということは善く生きるために必要なことだ。

勉強、仕事、子育て。何にせよ、努力抜きではなし得ない。自分の設定した目標に向かって努力することで、人は幸福を掴むことができる。これには異論はないだろう。

しかし、問題はこの努力が人は苦手であるということだ。中には自分をいじめ抜くほど努力ができてしまう人もいるが、多くはそうではない。

努力ができない原因は、モチベーション自体が低かったり、集中力が続く仕組みを作れていないなど、色々と考えられる。

しかし、私は自分の「努力できない人生」を見つめたときに、努力を続けるには大前提があると思うようになった。

それは努力の源であり、できる人にとっては当たり前に存在するものだが、できない人にとっては永遠のテーマとなるものだ。

いったい何か?

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人のために死ねるか

人のために死ねるかどうか、それが私の今の一番の関心事である。

そういえば数年前、海上自衛隊に日本初の特殊部隊を創った伊藤祐靖氏が『国のために死ねるか』という本を出版した。これは良書なのでぜひ読んでいただきたい。タイトルで嫌がる人もいると思うが、決してただの右翼的な本ではない。

さて、この本の趣旨は国家の理念を問うものだったが、それ以外に非常に面白い指摘がなされている。それは特殊部隊の隊員の資質についてだ。

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