努力の大前提
努力をする、ということは善く生きるために必要なことだ。
勉強、仕事、子育て。何にせよ、努力抜きではなし得ない。自分の設定した目標に向かって努力することで、人は幸福を掴むことができる。これには異論はないだろう。
しかし、問題はこの努力が人は苦手であるということだ。中には自分をいじめ抜くほど努力ができてしまう人もいるが、多くはそうではない。
努力ができない原因は、モチベーション自体が低かったり、集中力が続く仕組みを作れていないなど、色々と考えられる。
しかし、私は自分の「努力できない人生」を見つめたときに、努力を続けるには大前提があると思うようになった。
それは努力の源であり、できる人にとっては当たり前に存在するものだが、できない人にとっては永遠のテーマとなるものだ。
いったい何か?
それは、「未来への希望」である。
時間は過去・現在・未来へと直線的に流れていく。少なくともそう考えられている。
努力は常に未来に向かっているものだ。過去に向かって努力したって過去は変えられないし、現在に向かう努力というのもおかしい。現在は常に流れていくので、何かをなそうとした瞬間にそれは未来へ向かっているものになるからだ。
つまり、努力というのは本質的に未来志向である。故に未来への希望がないと努力をしようという気分には到底なりえない。
考えてみれば自分の人生、未来に明確な希望を持ったことはなかった。
確かに仕事や勉強での希望はあるが、もっと根源的な人生の幸福というようなレベルでは、私は希望を持てない。
だから、毎日虚しさを覚えている。
一応の努力はしているけれど、これが実ったところで、私に何があるというのか。
今よりもちょっとはマシで、快適さが上がった生活になるだろうけど、私が感じる空虚さは何も変わらないと思う。
うつ気分をコントロールしつつ、英語の勉強などをやってみたり、ちょっとお洒落をしてみたり、それは楽しいことだしやりがいがある。
それでも虚しい。私が本当に求めているのは、私には手に入らないと知っているから。
もしお子さんをお持ちの方で努力できる子に育てたいと思っている方がいたら、
自分の人生に対して希望を持てる子に育てて欲しい。
それがクリアできたらあとは勝手に努力するだろう。
虚しさに苛まれながら生きて努力していくことほど辛いものはない。