精神科に予約の電話を入れるよ。
このブログでも言及していたと思うが、私は完全に何らかの精神疾患を患っています。たぶん気分障害系じゃないかなと思っています。
ただ、以前の記事でも書いたように精神科に行くことの恐怖から長きに渡って受診できていません。
でも、予約を入れようと思います。
少し心境の変化があったからです。
まず私が精神科受診を怖がっていた理由はこちらの記事に詳しく書いてありますが、ざっくりと説明します。
私は自分の低IQを知ってから、自分が知的障害なのではないかという恐怖を感じるようになりました。自分はこれから普通の人のような人生を歩めないんだ、幸せを諦めないといけないんだという思いの中で生きてきました。
ここで私が善良な人間ならそのまま結果を受け入れられたのでしょうが、生来のプライドの高さもあったのか、私は自分を知的障害者だと思いたくなかったのです。実際に医者から知的障害と明言されたわけではなく、実際には境界知能になるのでしょうが、それでもIQ70というのは知的障害の診断が下ってもおかしくない数値です。新たに受診することで知的障害だと言われたくないという気持ちが二の足を踏む理由でした。できれば境界知能であって欲しくないとすら思っていたかもしれません。
何度か受診をしようと決意をしたこともありましたが、なんだかんだ理由を付けてやめてしまっていました。
結局そうして今に至るまで受診をせずに騙し騙しやってきたわけですが、やはり限界があります。
でも、もう覚悟を決めました。
腹を括ったのには大きく2つ理由があります。
ひとつには、Twitterで同じような方を見かけるようになったことです。
これまでもリア垢で発達障害の方や境界知能~軽度知的の方をフォローしていました。
こうした方たちからも影響を受けつつ、一方でいまいち共感しきれない部分もありました。どうしても自分のようなIQは低いものの大卒で働いている方が見つかりにくいのです(現在は無職ですが)。
私はぱっと見では健常者と違いが見えず、仕事でも障害を持っていると思われることはなかったようです。特に言語性IQが平均とほぼ変わりませんから、勉強はうつ状態などでできないことと、数学が致命的に苦手なことを除けば大学を卒業できる程度にはできたわけです。
そんなわけで、軽度知的障害の方からはどうしても共通点を見つけるのが難しかったのです。発達障害系の方も全体的な知的水準の遅れがある方をあまり見かけることがありませんでした。低IQを公言する方は少ないのでしょう。
しかし現在の「岬ちゃんが来ない人(@misakichankonai)」のアカウントでは私と似たような知的なボーダーの方で大学を卒業していたりする方と繋がれました。
これがかなりの決定打になりました。自分だけじゃない、と。
もうひとつの理由は、地に足をつけて目的を達成しようと思ったからです。
IQの問題だけではなく、私の家庭環境やパーソナリティ、うつ状態などと関係してくる話ですから少し厄介なのですが……。長くなりますがお付き合いください。
私は幼少期から家庭環境のストレスからか自分を責める癖のある子供でした。自分のお気に入りのキャラクターたちが自分をこぞって責め立てるという空想をよくしていたのです。ちょっと私自身にも理解し難いのですが、このような「罪悪感」のようなものを常に抱えている状態で、今でも似たような空想が抜けません。
そのような状態が続く中、家庭環境が悪化の一途を辿ったり、喘息の発作で入退院を繰り返したり、学校にも適応できないなどの問題が続々と出てきたわけです。
当然、今流行りの「自己肯定感」「自己効力感」など持ちようがないわけです。
その上でついに中2のときに上述のIQ70のエピソードがトッピングされました。人生ツラさマシマシですね。これが自分にとっては大きな烙印になりました。
好きな人ができても「こんな低IQの俺に恋愛する資格なんてあるのか?」と考えるようになりました。
「自分は罪人で、汚れていて、あげくに低IQで、そんな人間は早く死ぬべきなのに恋愛なんて」
そんなふうに歪んだ考えが頭から離れなくなりました。IQの診断以前から似たような思考はしていましたが、特に診断以降に酷くなったように思います。
話が変わるようですが、私は誰かに愛されたり、家庭を持ったりすることにわりと純粋に憧れる人間でした(です)。
そんな私にとってこのような「自分にはそんなことをする資格はない」という感情はとても辛いものです。
家庭を持つまで行かなくても私だって若い男ですから、人並みに女性に興味を持ったりもします。
でもそういうことに罪悪感というのか、「俺がこんなことをしていいのか」といった気持ちが付きまとうのです。
こうした感情が常にあると、例えばお洒落ひとつとっても難しい。
子供の頃はちょっと女の子が入っていまして、髪の毛にボンボンを付けたり、メイクに興味を持ったり、洋服を自分で作ろうとしたりと、それなりに着飾ることに関心があったはずなのですが、精神状態の悪化によって気力がなくなると共に「これから先何もないのに、こんなことをやっても虚しいだけ」という思いに囚われてできずにいました。っていうかいます。
人並みに恋をしたいし、これまでまったくチャンスがなかったわけではないのですが、完全に奥手(と言っていいのか?)になりました。
愛したい。愛されたい。でも難しい。
この板挟みで生きてきました。
仕事もせっかくの新卒カードを一度も使うこと無くドブに捨てました。
「計算できないのを知られたくない。仕事で失敗したくない」という恐怖からでした。私は元々学習障害の傾向があり計算に困難を抱えています。
数学問題が解けないのでSPIに通ることも難しいですし、仕事でもし計算が必要な業務を任されたときに失敗するだろう、使えない奴って思われるだろうと思うと怖くて仕方なかった。大学の就職アドバイザーにも自分の状態を説明するのが怖くて結局就活を一切やりませんでした。
その後なんとか頑張って就職して正社員になり、それなりに期待されましたが、結局はうつ状態の悪化で続けられなくなり、職を転々、最終的には無職です。
私は言葉の上でIQ70だとか家庭環境の問題を理解して受け入れているつもりでした。毎日のように自分を否定する言葉が脳内で何度も何度も反芻されますから。
でも本当は自分がIQ70だとか思いたくないから、無能だって思いたくないから逃げていたんですね。
だから恋愛だとか就活だとか受診だとか、そういう決定的な事柄から逃げて曖昧さの中で生きてきた。
自分を責めて、行動を起こさずにいれば、「でももしかしたら……!」「今はダメでもいつかは!」って思える。
普通でありたい、普通であれば、いやそれ以上になれば、恋愛だってできるかもしれないし、きっと仕事だって周りを見返すほどバリバリやれる!
自分の現実を受け入れないことで、都合の良い空想に浸り、ifの世界で生きる。
でも、それはそろそろ終わりにしないといけません。
以前から考えていた、「生きる意味」、「私の使命」。
母を幸福にしたい。
それが私が幼少期に感じたことで、今までも地道に努力してきたことです。結果は微妙でしたが笑
就職を頑張ったのもそうです。
その目的を果たすためにも私は今は受診しないといけません。
主治医に今までの経緯を伝え、新たに実施されるであろう知能検査を受け、受け入れたくない結果であっても真正面から受け止める。
それが今の果たすべき使命でしょう。
障害年金が貰えるなら貰う。リハビリに通えるなら通う。
そうして少しずつ自分の状態を回復していけば家庭の問題を解決して、母を幸福な方向へ連れて行くこともできるでしょう。
実際には母の幸福は母自身が決めることですから私は干渉できないのですが、今のようなゴミ屋敷などは決して健全ではありませんから、そうしたことを解決して幸福になれる土台を作るのが私の役目です。
一番大事なのは母のことですが、私だって恋愛や仕事を諦めたくはありません。あ、仕事は別にいっか。
今の私には謎の罪悪感や無能感という四六時中ついてまわる煩わしいペットがいるのですが、こいつをどうにかしつけないと私はどうも幸せにはなれないようです。
愛したいし愛されたいです。すごく憧れますね、そういうの。
それを「一生できないんだ」と思わせるクソ生意気なペットに唆されて、それが事実なんだと思うようになったらいつまでも「どうせ俺なんて」→「でも俺だってもしかしたら」→「振り出しに戻る」のループから抜け出せないですからね!
ずいぶん長くて書いた自分も驚きですが、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
結局まとめると、「怖いけど一歩踏み出すよ」ってことです。
これからもブログ・Twitterを続けていきますし、普通に「オ○ニー」とか「童貞」とか呟きますが、できる限りどうぞよろしくお願いします。