私の気持ちを察してよ、私の思い通りに動いてよ←知るかバーカ
(「我が道」 "My Way" と言ったらフランク・シナトラだろ?)
支配という言葉を好意的に受け止める人はいないだろう。
肉体的なものであれ、精神的なものであれ、支配には非支配者の人格を尊重しないで自分の都合の良いように操るイメージがある。
誰だって自分を尊重してもらい自由に振る舞いたいと思うから、嫌なのは当然だ。
その中でも一見自由に行動できるように見えて、実は相手の誘導に乗せられているという精神的支配は、まるで魂が束縛されているような、自分という存在そのものが消えてしまうような感覚がして、気持ち悪さを覚える。
しかし、そんな精神的支配を人は往々にしてしがちだ。
例えば、「言わなくてもわかるだろ」というのもそのひとつだ。
口に出さずに雰囲気で自分の要求を伝えようとする。相手がそれを受け取らなかった場合、急に不機嫌になる。
もちろんこんなものは気にしなければいいのだが、日本人は空気を読むように訓練されていることもあって、相手の要求に答えられないとバツの悪さを覚え、まるで自分が悪いかのように錯覚する。
もちろんこうしたことはコミュニケーションをする際にどうしても発生するものなので、それ自体が悪いということではない。
だが、自分が何も言わずとも相手が先回りして気持ちを理解してくれることに慣れてしまい、常にそれを他者に要求するようになり、周囲の人もそれに嫌気が差しつつも怒られるのが嫌でつい応えてしまう、ということになるとこれはもう精神的支配の一丁上がりだ。
みなさんの職場にも一人くらいはこういう人がいるのではないだろうか。
さらに残念なことに親子関係というのはこういう関係性になりやすい。
自分の意見も言わずに相手を誘導しようとする、そして相手がそれに従わないと目に見えて不機嫌になる。
今までの人生、身近にこんなシチュエーションが多かった。途中から抗うようになったが。
つい先日も人と話したときにそれが起こった。
一緒に出かける予定を話していたのだがなかなか結論が出なかった。そのやりとりに何か違和感を覚えた。
その違和感の正体が掴めずにいたのだが……さっき気づいた。
精神的な支配だったのだ。
結論が簡単に出るはずの話題なのに、相手がなかなか芳しい回答をせずにいてモヤモヤしていたのだが、要は「私はそれをしたくない。あなたもそれをしないで」と暗に私に求めていたのだ。相手の出すあの雰囲気はきっとそうだ。
気持ち悪い。
意見があるならはっきり言えばよいのだ。なぜ暗に気持ちを察してもらおうとする?なぜ人の行動を変えようとする?
危ないところだったぜ。つい気づかないうちに相手の要求に応えるところだった。
こんなときにはフレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」を口ずさもう。
私は私のために生きる。貴方は貴方のために生きる。
私は貴方の期待に応えるために生きているのではないし、貴方も私の期待に応えるために生きているのではない。
私は私。貴方は貴方。
もし縁があって、私達が一緒に出会えるなら、それは素晴らしいことだ。
もし出会えなくても、それは仕方のないことだ。
当ブログはフランキーのように自分の人生を生きようとする("Going my way")貴方を全力で応援します。