岬ちゃんが来ない人のブログ

アラサーニートです。中原岬ちゃんが来ません。助けてください。

隣に誰かがいると思えること。非モテの苦しみを減らす処方箋。

隣に誰かがいると思えることってとても大事だと思うんだ。

例えば独身男性の余命は既婚男性より短いことが知られている。これは妻が食事に気を使ってくれていたことの影響も考えられるが、一つにはやはり孤独感の増大だろう。

極端に夫婦仲が悪いケースを除けば、夫は「家に帰れば妻がいる」と思えることで人生の孤独感を感じにくいはずだ。妻は知らんが。

結婚している以上なんだかんだ妻を愛しているだろうから、そんな人の姿を毎日見られることはやはり生きがいを感じさせてくれるはずだ。妻は知らんが。

個別のケースは置いといて、「二人で一緒に生きている」という感覚は人を孤独から解放し、温かい気持ちにさせてくれる。そこに関しては妻も同じじゃないだろうか?

 

非モテが「恋人が欲しい」「恋愛がしたい」「セックスしたい」と言うのもこうした孤独感を減らしたいという思いから来ているように思う。というか私がそうなのだが。

 

 

今日こんなツイートをした。

どうしてこんな話題を取り上げたのかと言えば、非モテ議論でよく出てくる「なぜ非モテは彼女を作れば幸せになれると思ってるんだ?」という批判に対して思うことがあったからだ。

 

非モテと一言で言っても、あくまで「モテない」という共通項しかないし、その「モテ」すら定義が一様ではない以上、非モテはこうだと論ずることはできない。

しかし言っていても始まらないので、主観的に「非モテ」と感じている人について話す。

 

非モテの多くは彼女を作ってそれで万事オッケーだなんて思っていないと思う。

たしかに幸せな気分にはなるだろう。でもそれはあくまで一時的な感情であって、目の前に山積している問題、例えば仕事や家庭の課題が消えないことくらいは成人ならば普通分かる。

非モテがああしたことを言うのは、「やっぱり一人は寂しいなぁ」という感情の吐露だろう。

世の中には結婚に憧れて、結婚すれば勝ち組だとか、それがゴールだと思っている人もいるから、非モテにも似たような奴がいるかもしれない。

でも多くは現実を理解した上で、人生のパートナーになれるような、二人三脚で歩めるような人がいたらいいなぁと素朴に思っているんじゃないだろうか。

ただ、非モテの多くは、残念ながら器用に振る舞えない。

清潔感がなかったり、コミュ力に問題があったり、無職だったりといろいろと問題を持っていることがある。あれ、これ俺のことじゃん。

 

なぜ彼らはあそこまで不器用なのか。

理由はたぶんひとつではないが、私は精神的な問題が大きいのではないかと思っている。

非モテの中には精神的な病を持っている人も多く、身だしなみの維持などが難しくなっていく。また発達障害、特にASD自閉症スペクトラム障害)の場合こだわりが強く、自分のスタイルを変えることが難しい傾向にあるようだ。

また自己否定感が強くなっていくと投げやりな気持ちになり、社会性を失っていく。

こうした問題の合せ技で非モテは努力したい気持ちがあってもなかなか這い上がるのが難しいのではないだろうか。

もちろん本気で恋愛をしたいと思うならひとつひとつ解決していくしかない。

ただ、世間は非モテに厳しい。

 

「キモい」

「そんなんだからモテないんだよ」

「風俗行けば?」

「犯罪者予備軍」

 

と言った言葉が非モテには向けられる。

こうした悪意からの言葉が人をポジティブな方向へ動かすことはない。ただの非モテいじめである。

また、親切心からでも結局今の相手を全否定してしまうような言葉はやはり意味をなさない。

言われた側は自分を守ろうと強い反発をするか、「たしかにそうだよな」と相手の言葉を内面化してますます自信を失っていくだろう。

 

強い反発の事例がまさにミソジニー女性嫌悪)だ。

多くの非モテ男子は学校で女子からいじめを受けた経験を持っているはずだ。自分を受け入れなかった「女性」というものに敵意を抱く。最近ではインセルなどと言ったりする。

彼らに関しては色々と問題があることも事実だが、彼らが傷つき体験を持っているのは事実だ。この点は配慮する必要があると思っている。

 

自信を失っていくタイプは行動ができなくなる点で一番悲惨と言える。

少しずつ自分を改善していけばチャンスはあるかもしれないのに、ネット上の顔の見えない相手の発言や根拠薄弱で過激な内容の記事など、「あなた」という人を知らない人間のネガティブな言葉を真に受けて落ち込んでしまう。「どうせ私なんて」になってしまう。

 

あるいは「見返してやる」と思い努力する者も少数ではあるが出てくるだろう。

だが彼らが健全な方向で努力するとは限らない

男性であれば「恋愛工学」などという女性蔑視思想に嵌りひたすら女性をナンパしてやり捨てにするような人間になったり、

女性であればやはり男をわざと弄ぶことで自分の傷ついた心を癒そうとしたり、自分の価値を確認するために性行為に奔放になったりする。

彼らもまた傷つき体験を持つ被害者の側面があると私は思っている。

こうした悲しみの連鎖を生み出さないためにも、非モテを弄ぶのは止めた方がいいし、非モテはあまり周りに流されずに自分の気持ちに素直になった方がいい。

 

自分の気持ちに素直になる、とはどういうことか。

「誰かに隣にいて欲しい」という当たり前の感情をちゃんと認めてあげることだ。

それは悪いことでもなんでもない、人として当たり前の気持ちだ。

非モテを批判する言説に傷ついたところで時間の無駄だ。何も進展しやしない。

それよりは自分の中にある、愛する人を見つけたいという気持ちをもっと素直に大切にした方がいい。

女性を憎んで侮辱したり、どうせ男なんてと言ったところで、落ち込んでいたところで、愛されたい自分は確実にいるのだから。

自分の中から湧き上がってくる思いは強いから、必ず良い方向へ行動が変わってくるはずだ。

発達障害などでこれまでのスタイルを変えるのが難しい人も、焦らずにゆっくりでいいから、自分の心の中の理想を実現するために行動をしていけばいい。

こうした種の人は(私もそうなので分かるが)目的が定まると動き出す。

「どうしてモテるために男がお金を出さないといけないのだ。これは性差別じゃないのか」などと論考してしまう気持ちもよく分かる。ASD傾向の人は良くも悪くも筋を通すのが好きな人が多いので、こうした行動に嫌悪感を抱きがちなのだ。

だが、もし自分が物凄く大好きな人とデートする、あるいは食事に行った相手をもしかしたらこれから好きになるかもしれないと考えたらどうだろう。

男女平等について思索を巡らせるのも悪くないが、それとは別に「好きな人なので特別サービス」としてお金を支払うのも悪くないのではないか。

 

そんな感じで無理のない範囲でいいから、自分をいじめずにもっと素直に前に進んでいければいいと思う。

 

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と自分に言い聞かせている(涙)