ゴミ屋敷の歴史①
以前の記事でも書いたが私はゴミ屋敷の出身です。
正確には2歳とか3歳とかそれくらいまでは普通の家だったのですが、たぶん6歳のときにはもうゴミ屋敷だったと思います。ちょっと記憶があやふやです。
ゴミ屋敷の直接の原因は母です。
私は生後すぐに喘息の発作が起き、何度も病院受診をするような病弱な子供でした。
母は結婚を期に職場を去り、父の住む団地で暮らし、そこで私を育てることになりました。
父は仕事のできない人で私が生まれてすぐバブルの煽りで人員整理の対象になったらしく、自主退職をしました。
父は実家に仕事のアテを見つけてもらい、実家と我が家を行き来する単身赴任のような生活になっていました。
母は病弱な私を一人で育てなければいけなかったわけです。
私の古い記憶、5歳未満だと思うのですが、父が家にいた記憶もあります。ですが、私の幼い頃の思い出のほとんどは母とのものです。
最初に書いたように、綺麗な家の記憶も若干あるのですが、父が完全に我が家に来ることがなくなって以降(何歳か不明だが6歳くらいか?)は我が家はゴミ屋敷になりました。
それはもう気がついたらなっていましたから、正直どんな過程を経てなったのか覚えていません。気がついときには4LDKくらいの間取りのほぼ全てがゴミに埋め尽くされていました。
足の踏み場もないような家でしたが、玄関を入って右側、たしか元は父の部屋として使っていた部分がメインの居住空間になっていました。
もちろんそこもゴミだらけなのですが、一応私と母と炊飯器くらいは置けるスペースがあったのです。
トイレに行くための通路もゴミで塞がれて、たしかペットボトルにおしっこをしていたと思います。
ただ母がそうしていた記憶がない(というか女性は構造上難しいだろう)ので、たぶん母はトイレに行っていたのかもしれません。私は通路にゴミが溜まる前はもちろんそうしていましたが、途中からペットボトルや牛乳パックのようなものに入れていました。
完全に書き忘れていましたが、飼い猫も家族の一員でした。
その狭いスペースで猫と母と私の共同生活が営まれていたのでした。
その後、たぶん私が小学2年生くらいでしょうか。父が我が家の惨状を見ることになりまして、最終的にはこの家から引っ越すことになります。
今日のところはこの辺にしておきます。
記憶が一部飛んでいたりしますから全部を書くのが難しいのですが、自分の過去を整理するためにもシリーズものとして書いていきたいと思います。